筆者である私は理学療法士(リハビリの先生)をしているのですが、なかなかの理屈っぽさが。それによってなのか、学生時代は多くの大人たちに嫌われることが多かったです。そんな自分を私自身、可愛げがないなって思っていました。
で、理屈っぽいからって学校のクラスや友人から嫌われていたかというとそうでもないです。なんなら、まぁまぁモテてたかなと。大人でも、たまに仲良くなれる大人もいました。だから、理屈っぽいから持てないんだとか、嫌われるんだって思っている人たちは、ちょっと違うんじゃないかなーって。
社会人になってからは特に、歳上の方たちには可愛がってもらってると思っています。実際、20-30歳上の方たちと2人でご飯に行くことも多々あるし。
理屈っぽくて嫌われるなーとか、モテないなーとか思ってる人がいるかもしれん。けど、それとこれとは関係ないんだよーってことを今回は言いたいなと思ってこの記事を書いてみます。
✓こんな人に読んで欲しい!!!
・理屈っぽくて自分が嫌だと思っている人
・理屈っぽいから嫌われてると思っている人
・理屈っぽくてモテないと思っている人
・理屈っぽいのを直したいと思っている人
理屈っぽい人が気をつけるべきこと4選
まず最初に言うと、理屈っぽくても嫌われません。むしろ、「あの人は感情的にならずに話してくれる」とか、「理論立てて話してくれるからわかりやすい」など。女性の理屈っぽいは上手く使えば有利に働きます。
どうしても男性より女性の方が感情的になりやすいです。そこで理論的に話せる人がいたら、「知性的な人」「理論的な人」「感情に流されない人」などと思ってもらえます。まず、「理屈っぽい」ではなく、「理論的」とか「順序立てて話す」というふうに捉えてはどうでしょう。
以下では理屈っぽい人がやりがちなこと=注意するといいことを書いていきます。コレを気をつければ、嫌われることはないのでは?
理屈っぽくて嫌われるって思っている人は、下記の4つを注意してみてください。
①言い方に気を付ける
理屈っぽい人(私を含めて)って、相手に逃げ道を与えないで、一方的に話してしまう人が多いのではないでしょうか?
言い方がきつかったり、早口になったり、まくし立てるような言い方になったり。言い方1つで、聞いてる方の受け取り方って変わるんです。
優しく、ゆっくり話すだけで印象って変わりますよね。理屈っぽいのと、相手を追い詰めるような話し方は違います。自分で思っているより、棘がある話し方になったりしていると思うので。
②相手の話を最後まで聞くこと
これは私だけかな?相手が次に何を質問してこようとしているのかが、途中でわかってしまうんですよね。で、その人の質問を遮って、「あー、これね。こういうことを聞きたいんでしょ?これは〜…」って話しちゃっていたんです。理屈っぽい人って、自分の中で順序立てているから、何となく予想できちゃうんじゃないかなと。けど、やっぱり話を遮られた方はいい気分はしないですよね。
また、「私はこう思うんです」とか「こうされたらこう思います」とか、自分の思いを伝えてくる人が苦手。普段はいいですが、仕事とかではやめてくれって思ってしまいます。
こはういう人に対して、私は「今はあなたの感情を聞いてないんだよね〜」って思ってしまいます。なので、理由なく「だって〇〇だと思うから」って言われると、途中で遮ってしまうんです。そして、「それはあなたの感情であって、理由がわからない。理由は何?」とか聞いてしまいます。はい、よくない。これはうざいと思われますね。
やっぱり、話を最後まで聞くことって大事だなと。じゃないと、「話も聞いてくれない、自分の意見を押し付けてくる理屈っぽい人」って思われちゃうかも。なので、どんなに先が読めても、どんなにくだらないと思っても、理由・理屈ないやんって思っても、最後までしっかりと話しを聞いてあげること。それだけで、周りからの印象って変わります。
とりあえず、「話は聞いてくれる人」認定はされるでしょう。
③正論を言えばいいわけではない
これは注意して欲しいのですが、理屈っぽいのと、反論することは違います。理屈っぽいのと、論破することも違います。理屈っぽいのと正論を言うことも違います。
理屈っぽいことは自分の意見を述べる時、順序立てて話すだけ。質問をする時に、順序立てて話すだけ。ここに論破するとか、反論することは入っていません。それは理屈っぽいのではなく、「屁理屈」だったり「正論」を言っているだけ。
正論を言うことと理屈っぽいことは違います。正論は、本当に必要なときだけです。正論を言ってしまうと、「相手が間違っている」と指摘していることになるので、反感を買って終わります。相手も嫌な気持ちになるし。そうなると、「理屈っぽい嫌な奴」「理屈っぽいし、すぐ論破しようとしてくる奴」と思われてしまいます。
正論も言えばいいわけではないことを覚えておくといいかなと。ちなみに、私はコレで何人も泣かせてきましたし、謝罪させてきました。自分より20も30も上の人たちを。ですが、なにもいいことはないです。したからは「はっきり言えて凄いです」とか言われもしましたが、自分が仕事しにくくなるだけ。仕事を任せてもらえなくなったり、頼みにくくなる人になるだけだなと。損しかないです。なので、本当にオススメできません。
④自分を基準にしないこと
自分が知っていることを、周りも知っていると思わないこと。同じような仕事をしていても、専門用語はなるべく避けたり、知っているか確認をする。そうすることで、「理屈っぽい、上から目線の人」という印象はなくなっていくはずです。これも、もちろん聞き方は重要ですが。「これ知ってるよね?」とか「このくらいわかるよね?」は絶対ダメ!
そして、知らなかったとしても、しょうがないと思うこと。「何で知らないの?」とか、「聞きに来いよ」とかも決して思わないことです。それが態度に出ちゃうから。丁寧に説明してあげるだけで、「理屈っぽくて上から目線の人」から、「説明が丁寧でわかりやすい人」になることでしょう。
また、理屈っぽいということは効率を考えてしまったり、感情を無視して理論立てて考えてしまいやすいです。ですが、相手が感情をぶつけてくるような方であれば、一向に話は平行線のままです。相手に響くような言い方に変えるなど、自分が工夫する必要があります。なぜなら理屈っぽいあなたは、どこにギャップが有ることに気付いてしまったから。気付いた人が工夫すべきです。
上記4つに注意して、「理屈っぽい人」→「説明が丁寧でわかりやすい人」を目指す!
以上で述べた4つに注意するだけで、かなり印象が変わるのではないいでしょうか?しかも、「丁寧な説明ですごくわかりやすい!」のおまけ付き。これは、理屈っぽくないと出来ないことです。だって、理論的に考えないとわかりやすく説明できないから。
理屈っぽいことは、才能だと思います。そうやって考えようとしても、出来ない人もいるということがわかりました。ちなみに、私の家族がそうです。(笑)
ですが、私は理屈っぽいおかげで、学生時代にスポーツでそこそこの結果を残せたと思っています。理屈っぽいおかげで、国家試験も通ったと思っています。理屈っぽいおかげで、今の仕事が楽しいと思えています。理屈っぽいおかげで歳上の方たちからよくご飯に誘ってもらえると思っています。なので、理屈っぽい部分をいい感じに発揮していけたらいいなと思っています。
下記は、学生時代〜現在までの理屈っぽくて良かったなと思ったことを書いていこうと思います。経験談になります〜
理屈っぽいからこそ、今がある!私の経験談。
理屈っぽいと言われた学生時代
中学生の時は、どんなにテストで点数をとっても、私より点数が低い子の方が成績高かったです。あとは、なんかよくわからないことで怒られていたなーと。
では、なぜそんなことになっていたか。自分が納得出来ないと聞いてしまうんです。「なんでですか?」って。大人からしたら、面倒くさいと思われてたのかなーと。しかも、言い方。これがよくなかったかなと。やや喧嘩腰になるんですよね。「全然わからないんですけど。」とか、「え、意味わからないです。」とか。これを愛想悪く言ってる感じ。まぁそりゃ嫌がられますわ。
高校生のときの話なんですが…私は水泳をしていたんですが、練習の後に陸上でトレーニング(陸トレ)をしていました。コーチがその陸トレをみてくれることになったんです。皆でやろう!となったんですが、「私は大丈夫です。自分でやります。」と言いました。他の子達は一緒にやっていたのに。
まぁ、これもコーチからしたら可愛くないですよね。でも、私にも理由がありました。やらなきゃいけないことは皆違うはずなのに、一緒のメニューをした所で意味がないと思っていたんです。例えば私の弱点を克服するのか、良い面を強化するのかでもまず行う内容は変わってきます。それが5-6人集まったら、そりゃ皆違うに決まってるじゃないですか。だから、同じメニューで出来るわけないと思っていました。でも、コーチからしたら、「やります〜!」って言ったほうが可愛いですよね。そもそも関係があまりよくなかったので、話を聞いてもらえないと思い、一緒にやらない理由も説明していなかったです。
なので、理由も説明せずに勝手に一人でやってる、可愛げのない奴になっていました。
それでも、そこそこの結果は残せたと思っています。何より、自分で考えてできたので結果が着いてこなくても後悔しないし、人のせいにしないで済みます。全部自分のせい。ですが、それを改善して次に結果が出た時は、楽しくてしょうがない。小さな成功体験を積むことが出来ました。
結果として、この経験は良いものになったと思っています。ですが、当時は辛かった記憶があります。なのでこれも、理屈っぽいから好かれなかったのではなく、言い方が悪かったこと・そもそも説明しなかったことが原因にあると言えます。
社会人になって、理屈っぽいことが褒められた。
でも、今はそんな私の「なんで?」が良いふうに働いているなと。こう思えるようになったのは、理学療法士になってからです。私の尊敬する先生に言われました。「今の若い子達は何をすればいいかって結論とか結果(治療内容)を聞いてくるけど、あなたは違うね。何でかが気になるんだね」って。これは、褒められたんです!(と思ってます!!!)
私は、その先生がなんでその治療をしたのかが気になるんです。その治療をしたのは、どんな理由からなのか、どの検査結果からなのか、とか。それがわからないと、応用できないから。その場でしか使えない技術や知識は意味ないと思っています。
ですが、「なんで?」って理由を聞いているのは昔と一緒なのに、最近は嫌われないでいれるか。その理由を考えてみました。
実は理学療法士になってから、いや学生時代から持っていた理学療法に対する私の疑問。それに、初めて納得できる答えをくれた人だったのが、その尊敬している先生でした。そうなると、その先生への信頼度がめちゃくちゃ上がるんです。しかも、聞いたことにも全部答えてくれて。
そこから、その先生みたいになりたい!と思いました。そうすると、自然と自分の態度も変わってくるんです。「その先生だったらこんな態度しないだろうな」とか「こんな話し方しないよな」とか。しかも、尊敬しているから丁寧な態度になります。
きっと今まで(学生時代)、「私の疑問にすら誰も答えられないんかい」ってちょっと馬鹿にしてたのかもしれないです。その態度が出ていたのかな?と思います。そこから、色々なことを学ぶようになり、態度や話し方を気をつけるようになりました。
ちゃんとできているかはわかりませんが、以前より、争い事は減ったかなと。最近はいい人と言われることもたまーに、ごくまれーに出てきたし。
理屈っぽい自分も好き!
今この仕事に就いて、いい先生と出会えたからこそ、自分の事がちょっとだけ好きになれました。
昔だったら嫌われていたポイントさえも、人との出会いによって、いい部分だと思えるようになったんです。これってすごく素敵なことだなって。
なので、人から嫌われるとか、好かれないのは理屈っぽいからではないと言うこと。話し方や態度によってぜんぜん違うよね、ということが理解していただけたなら、すこーしだけでも変わってくるんじゃないかなと。とりあえず、半年でいいから気をつけてやってみる。それだけで変わってくると思います。
尊敬する人を見つける。
私は上記で書いた、尊敬する理学療法士の先生みたいになりたいなって思っています。
なので、以前水泳の選手コースの子供たちに関わっていた時はすごく気をつけました。コーチに怒られている子程、その部分を別の角度から褒めてあげようと思いました。理屈とか理由を聞いてくる子はやっぱり大人から嫌煙されがちだったので、なるべく話をしようと思って接するようにしていました。
私がその先生に救われたので、私自身がそういう立場になれたら素敵だなって。やってもらったことを、やってあげられたらいいなって。ここ最近は、いや、数年間はそんなことを思いつつ、仕事をしております〜〜〜