アラサー女子である私は、なかなか理屈っぽい。最近始まったことではなく、昔から。それによってなのか、学生時代は多くの大人たちに嫌われることが多かったです。そんな自分を私自身、可愛げがないなって思っていました。
で、理屈っぽいからって友人から嫌われていたかというとそうでもないです。先程は大人に嫌われていたと書きましたが、大人でも、たまに仲良くなれる大人もいました。社会人になってからは特に、歳上の方たちには可愛がってもらってると思っています。実際、20-30歳上の方たちと2人でご飯に行くことも多々ある。年下とも行くこともある。モテないかと言われたら、そうでもない。
だから、理屈っぽくて嫌われるなーとか、モテないなーとか思ってる人がいるかもしれんけど、理屈っぽいから嫌われるとかモテないってのは関係ないんだよーってことを今回は言いたいなと思ってこの記事を書いています。
理屈っぽいと嫌われるは違う。
まず最初に言うと、理屈っぽくても嫌われません。むしろ、「あの人は感情的にならずに話してくれる」とか、「理論立てて話してくれるからわかりやすい」などと思ってもらえることもある。女性の理屈っぽいは上手く使えば有利に働きます。どうしても男性より女性の方が感情的になりやすいです。そこで理論的に話せる人がいたら、「知性的な人」「理論的な人」「感情に流されない人」などと思ってもらえる。
嫌われるのは、別の問題があるから。そう考えたほうが自然じゃないですか?理屈っぽいというと少しマイナスな捉え方をしやすいけど、「理論的」だとしたら、それで嫌われることってないよねって思う。
理屈っぽいから嫌われるっていう認識を改めたほうがいいのかなって私は思うわけです。他の理由で嫌われている。
それ以外の嫌われる理由
例えば、言い方。話し方がきつかったり、早口になってしまうと、威圧感が出てしまう。そうなると、怖くて話したくないって思われるかもしれない。
例えば、相手の話を遮ってないですか?私は、なんとなく話を途中まで聞くと、相手が何を質問してこようとしているのかとか何を言いたいのかが、なんとなく途中でわかってしまうんですよね。で、途中でまとめちゃうことがあって。でも、相手は最後まで話を聞いてほしかったりもする。そうなると、あの人は最後まで話しを聞いてくれないってなる。
例えば、正論を言っていないか。理論的だから正論を言ってしまうのは仕方が無いことではなく、相手の気持ちを全く汲み取ろうとしていないだけ。それは理論的だからでもなんでも無い。これ勘違いしている人が多い気がする。いっとき流行った論破は、自分がマウントを取りたいだけ。正しいことを言っているのかもしれないけど、相手にとったらただただ自分を征服しようとしてくる怖いやつ。
例えば、相手を下に見て馬鹿にしていないですか?自分が知っていて相手が知らないことを、どういうふうに説明していますか?上から目線で説明していませんか?
なので、理屈っぽいから嫌われるわけではないのかなって。そんな感じ。