今回は筆者である、私の過去の話をしていこうかと思っています。
どの過去の話かというと、スポーツの話。水泳を選手としてやっていたんですが、最後はジャパンオープンという試合に出て、全国学生選手権、インターハイ、全国中学、ジュニアオリンピックにも出ました。まぁ、決勝は残れなかったけどね。(笑)
でも、もともとはめちゃくちゃ遅くて。今だったら、辞めさせられてるレベル。(笑)
まずは、簡単に私の水泳の経歴を話します。その後、どんな努力をしたか書いていこうかと思っています。
水泳の経歴
小学生
水泳を始めたのが、幼稚園の年長の秋か冬だったのを覚えてます。で、選手コースに入ったのは2年生かな?選手コースに入れた理由は、お姉ちゃんのおまけ。(笑)
なんか、親が別々のお迎え面倒だからって言って、無理やり入れてもらいました。なので元々は、お姉ちゃんが誘われてたんです。なのに、私のほうが長くやってたんですけど…
小学生の時は全然遅かった。身長が低くて体重も軽かったのもあるんですが、1つ下の子達と同じくらいのレベル感。小学校高学年で県大会に出れたくらい。小学校が同じで、クラブチームも同じ同い年の子がいたんですが、その子は出ていたんですよね。ジュニアオリンピックに。だから、どこに行ってもその子は「スゲー」って言われてて。めっちゃ悔しいですよね。ほんと。
でも、このときにやっていたことが1つあって、練習が週に2日休みだったんです。でも、同い年の速い子とかは週1しか休みがなくて。要するに、私は遅いから週に2日休みだったんです。なので1日は、父親と一緒に入りに行っていました。これが結構大きかったかなと、今では思います。
中学生
中学1年生のとき、初めてジュニアオリンピックに出たんですが、それも悔しい出方だったんです。水泳って年齢で区分けされるんですが、私は誕生日が遅いから、1つ下の学年の子たちとリレーを組んで、リレーで初めて出たんです。ですが、他の3人は1つ下で、しかもみんな個人種目でも出ていたんです。そう、私は完全にお荷物ですよね。これはね、すげー悔しかった。ほんと。まじで悔しかった。なんか、こう、居場所がない感じで。
でも、中学2年の夏に初めて、個人でジュニアオリンピックに出れたんです。この時はすっごく嬉しかったのを覚えています。で、ここからは割とコンスタントに出れるようになったかな、たしか。
さらにさらに、中学3年生では、なんとか全国中学の標準記録を突破できて。これも、本当に嬉しかった。この前に、半年くらい肩が痛くなって、キックの練習しか出来ない時間がありましたが…今考えると、それはそれでいいトレーニングになったのかなと。
もちろん、このときも走るのは続けていました。水泳は週に1回しか休みはなくなっていましたが、結構走っていたかな。この時は親と一緒ではなく、一人で行っていましたよ?ちなみに、勉強もそこそこやっていたんで、中学の内申の成績はオール4以上でした。数学と体育が5とかだったかな?このときから数学が好きっていうね。理屈っぽくなるわ。(笑)
だから、勉強も運動もできる必要があると思います。理論的に考えられなければ、努力の仕方もわからないですからね。
高校生
高校は、実は私の住んでいる地域では、そこそこの進学校に行っていました。公立高校で。スポーツクラスに行こうか悩んだんですが、まぁ色々と考えて、公立高校へ。
高校生の時は、かなり水泳では浮き沈みが激しくて。まず、中学3年生のときのベストタイムで、インターハイのタイムを突破できていたんです。なので、1年から行けると思ったんですよ。それもまぁ色々あり、関東高校まで行けたんですが、インターハイは行けず…そう、インターハイに出るためには、県高校と関東高校の両方で突破しなければ行けないんです。で、200m平泳ぎ、1秒くらい切れずに行けなかった。(笑)
中学3年の秋以降も色々あったんですが、この高1の夏以降もまた色々あり…なんでこんなに色々あるんだろう?くらいあった。(笑)
その後、高2では200mで4秒くらいベストタイムを更新し、無事インターハイ突破。この時は100mと200mの2種目で突破しましたが、高3になるまでにまた色々あり…高3の時はインターハイ出場できず。(笑) ですが、50mでジャパンオープンに初めて出るっていうね。まじで、色々ありすぎる!!!波乱万丈ってやつにしておきましょう!このとき、いっちばん、コーチと仲悪かったかもしれないです。
このときは他にも、県合宿に行ったり(全国大会以上の県内のランキングで決まる)、海外でやる合宿のメンバーに選ばれたり(これも県内のランキング等で決まる)。他にも、リレーではありますが、県記録を出せたり。結果としてもそこそこ充実していたかなと。まぁ、色々あったけどね。(笑)
ちなみに、このときはトレーニングをね、色々変えてやっていました。高2まではめちゃくちゃ走ってた。特に高1の夏終わり〜高2まで。練習後ほぼ毎日走っていたかな。で、高2の冬以降は筋トレをバリバリやってた。どのくらいやっていたかと言うと、高校1-2年の時は身長158cm53kgだったのが、高3では身長は変わらず体重58kgくらいかな。ただ太ったんじゃないよ?腹筋がちゃんと6つに割れてたから。ほんで、生理はめちゃくちゃ不順。ゴリゴリってこと。(笑)
でも、今考えると、これはね、ミス。努力の方向性をミスったなと。
大学生
大学生では学生選手権、いわゆるインカレには出ていましたし、相変わらず50mではジャパンオープンも出ていました。が、あまりいい記憶はありません。はい。
学校も理学療法の大学に通っていて、最後は逃げる感じで水泳をやめました。大学2年の夏。元々2-3年でやめようとは思ってたんです(大学3年冬〜実習が始まるため、1ヶ月〜2ヶ月程度練習にいけなくなるので)。けど、辛すぎて、2年でやめました。最初は1年のときにやめようかと思ったけど、なんとかもう1年頑張って2年まで続けた。初めて親に水泳をやめるって伝えたのが大学1年の夏、インカレに行く日でした。親もびっくりしてたのを覚えている。
なぜ全国大会に出れたか
筆者である私の水泳の経歴はそんな感じ。じゃ、なんで全国大会に出れるようになったのか。もちろん自分の努力はあるけど、親が一番大きかったかなと思っています。
親
親にはすごく感謝しているんです。私がこうなれたのは自分とかコーチより、母親のサポートが大きかったと思っています。
まず一番に、過度に干渉してこなかったんです。私の話は聞いてくれるけど、「もっと頑張りなさい」とか、「もっとこうしたら?」とか、「タイムでそう?」とか一切言われなかったんです。母親に聞いたら、中学生くらいの時に聞いたことがあったらしいんですが、あまりいい反応をしなかったらしいんです。で、試験勉強とかも含めて「あんたは言わなくても自分で必要だと思ったらしてたから、言わなかった」と。「水泳も自分で走りに行ったり頑張ってたでしょ?」と。
父親とは仲悪くなかったですし、むしろ仲いいほうだと思いますが、特に何も言われなかったです。たぶん、お姉ちゃんの反抗期がヤバすぎて、私に構ってる暇なかったんだと思う。それと、朝早い仕事だったんで、ほぼ会わなかった。(笑)
小学生の時は遅かったから、色々言いたいこともあったと思うし、他の子達と比べると劣っていたことも多かったと思うんです。けど、それでも小学生のときから「Mikaは頑張ってたからね」と言ってくれていたので、これはかなり大きかったです。
私が努力できる環境を作ってくれて、努力しやすい環境にしてくれたかなと。言わないって親としては結構大変だったんじゃないかと思います。やっぱり、口出ししたくなっちゃうじゃん?
で、私自身が選手コースのトレーニング指導をする立場になって思ったことが、「子供の結果に干渉しすぎ」ということ。その子自身の結果や努力ではなく、誰かと比べたモノしか見ていない親が多い。その子がベストタイムを出していても、あの子に負けた・勝ったとか。努力していないので結果だけ出ていればO.K.で、頑張っていてもタイムが出ていなかったらダメ、など。結果しか見ていない。しかもその結果も誰かと比較しての結果。これはね、まじで良くないと思いました。保護者の皆さん、気を付けて。あ、私はやんわり親に注意してましたよ?(笑) 保護者が「ベストだったけど、あの子に負けたんです」とか、平気で子供の前で言うから。「負けたら駄目なんですか?え、ベストタイムだったんですよね?練習も頑張ってたもんね?え、何が悪いんですか?頑張ったじゃん!良かったね!!!それを続けていこう!努力し続けてタイムを出し続ければ、そのうち勝てるかもしれないしね?」って感じで。
もちろん、競泳という競技は競って泳ぐので、競うことは重要だとは思います。人と競うことも大事だけど、過去の自分にずっと勝ち続ければ、他人に勝てる日も来る可能性もある。その人のタイムが停滞すれば。今すぐ、特に小さいうち、小中学生で結果ばかりに固執するのはどうかな?と思ってしまいます。
コーチ
ぶっちゃけね、コーチのおかげって思ったことが、あまりないんです。あ、感謝はしてますよ?もちろん。メニュー作ってくれたり…でも、私は基本嫌われていたので、あまりいい思い出がないんです。(笑)
コーチのお気に入りに勝つと「Mikaに負けてんなよ」って言ってたのも知っていますし。一番きつかったのは、1回もやめる話をしたことがなく、悩んでコーチに初めてその思いを伝えに行った時に「今お前の話を聞いている暇はない」って言われたこと。(笑) 今じゃ、どんだけ嫌われてんねんって笑えるけど、当時は精神的にもきつかったから、まじで泣いた。あ、一人でね。(笑)
でも、このときの経験が今の役に立ってると思っているので、全然恨んだりとかはないです。人としてはどうかと思うことも多々あったけど、コーチとしてはかなり優秀だった人じゃないかと思っています。こんなに勉強熱心で水泳に熱を入れている人、他にいないんじゃないかなと。仕事に対する姿勢を教えてもらったって感じ。
けど、自分が全国大会に出れたのはコーチのおかげとはあまり思えないです。(笑)
自分自身
直接的な要因としてはこれがかなり大きいと思っています。
小学生の時に走っていたのは、最初は父親の影響でした。でも、これを中学生、高校生と続けたのは自分の努力。コーチに言ったこともないので、コーチは知らないです。父親も続けているのは知らないです。夜だったから寝てたので。これを知っているのは母親だけかな。練習終わって軽く陸トレを自分でして、21時半とかに帰って、そこから走りに行っていたので、22時過ぎるかな。そこからご飯でした。
高校生では筋トレをバリバリやっていました。これも一人で。一緒に練習していても、皆帰っていました。私は一人でやってた。たまに後輩とかが一緒にやっていいですか?ってきたけど、基本一人でずーっとやってました。このときはね、懸垂15〜20回を5セットくらいしてた。キモ。(笑) 今じゃ3回が限界。 これも練習終わってからだから、家に帰るのは22時半頃になってました。
ちなみに、大学は指定校推薦で行っていたので、成績もそこそこですよ?
まとめ
結果、全国大会に出られるようになったのは、親のサポートと自分の努力だと思っています。
ぶっちゃけコーチなんて二の次かなと。もちろん良い指導者に当たったほうが良いですが、ある程度は自分次第でどうにかなると思っています。ここで大事なのは、努力の継続性と方向性が正しいこと。これは理論的に考えないと、無駄な時間を過ごしてしまいます。間違った努力では結果はついてきません。よって、頭が良くないと行けないんです。
保護者の人も、子供との関わり方に気を付けてもらえるといいのかな?と思います。
ちょっと、この水泳の話になると、熱が入ってね、長くなっちゃいましたが。最後まで読んでもらえたのかな?と思うので、ありがとうございました!
またこれらについては書いていこうと思います。
新しく、【全国大会の決勝に残れる人と、そうでない人の違いとは?】という記事も書いてみたので、一緒にチェック!!!
ではでは、参考までに〜