私は10年以上、水泳の選手コースで泳いできた。
その後、2か所のスイミングクラブで選手のトレーニング指導にも関わった。
ちなみに、今の旦那は元・選手コースのコーチだ(今はもう辞めている)。
そんな私たちが、過去の話をするときに必ず話題に上がるのが、
選手コースの中で起きていた「いじめ」の話だ。
大人が一言入った瞬間、空気は決まってしまう
私自身の体験から話したい。
高校生のとき、同じクラブ内に彼氏がいた。
でも、彼が他県の子と関係を持っていたことを後から知り、私は振られる形で別れた。
ただ、クラブの中ではなぜか「私が振った」という話になっていた。
そしてコーチからも「君から振ったんでしょ?」と言われた。
その場には女子選手もいて、コーチと一緒になって「私が悪い」という空気が出来上がっていった。
子ども同士ならまだしも、そこに“大人”が入った瞬間、そちらが正解になる。
もちろん味方になってくれる子もいた。
でも、コーチの前や、その場の空気の中では何も言えない。
それが現実だった。
コーチの言葉は、子ども同士の関係を決定づける
次は、私が指導に携わっていたときの話。
小学生の、少し気の弱そうな子がいた。仮にAさんとする。
その子に対して、担当コーチは
「お前はダメだな」「妹の方ができるじゃん」
と、みんなの前で平気で言っていた。
さらに衝撃だったのは、
Aさんのお母さんとコーチが一緒になって、Aさん本人の前で「Aがどれだけダメか」を話していたことだ。
その瞬間、何が起きるか。
周りの子どもたちは「Aさんは下に見ていい存在なんだ」と学習する。
Aさんを皆でいじることが習慣化されていたように、私は感じた。
一方で、そのコーチに褒められる子、気に入られている子は、
周囲からも“特別扱い”されるようになっていく。
これはもう、子ども同士の問題ではない。
私が「平等」にこだわる理由
私自身、選手時代はコーチに嫌われていた側だ。
ジャパンオープンに出場していたにも関わらず、
水泳を辞めるときに言われたのは、
「他のクラブだったら、もっと見てもらえてたかもね」
という一言だった。
この瞬間、
この人に“平等”という概念はない
と、はっきり分かった。
だから指導に関わるようになってから、私のモットーは決まっていた。
- できるだけ平等に接すること
- 私の好き嫌いの感情で態度を変えないこと
- コーチに構ってもらえていない子を、意識的に拾うこと
それは、過去の自分が
「そういう大人がいてほしかった」
と思っていたからだ。
「いじり」がいじめに変わる境界線
コーチのいじりが、いじめに変わる瞬間はたくさんある。
それはその子の性格にも、関係性にもよる。
でも私が思う一番の分かれ目は、
決めつけて、話を聞かなくなったときだ。
もしあのとき、
コーチが私の話を一度でも聞いてくれていたら。
子どもたちと一緒になって悪口を言わなければ。
結果は違ったかもしれない。
結局のところ、
これはコーチ個人のモラルや倫理観に大きく左右される。
私が「経歴」を重視する理由
ここでいう経歴とは、
自分が選手時代に「速かったか」とか、コーチになってから「有名選手を出したか」ではない。
私が大事だと思うのは、
- 水泳以外の仕事をしたことがあるか
- スポーツ指導以外の世界を知っているか
- 会社外の人間関係、学生時代以外の人間関係があるか
- 趣味や、別の居場所を持っているか
など、水泳以外のことを知っていたり、知ろうとしているか。
水泳しか知らないと、視野はどうしても狭くなる。
いろいろな立場を経験し、違う価値観を理解しようとする姿勢があるかどうか。
それが、指導者として本当に重要だと感じている。
読書をしたり、水泳もだけど、それ以外のことも学び続けていること。それも大事なことだと思っている。
指導と否定の違い
私の担当コーチは、よくこう言った。
「いいからやれ」「お前の話を聞いてる時間はない」
同じように扱われていた子もいた。
最初は指導だったのかもしれない。でも途中から、それは
私という人間そのものを否定する言葉に変わっていった。
「だからお前はダメなんだ」
こういう抽象的な言葉が出始めたら、
それはいじめに近づいていると思う。
「ここができていないからダメ」なら指導。でも
「だからお前はダメ」は、人格否定だ。
子どもを守れるのは、大人だけかもしれない
もちろん、家庭での関わりも大切だ。
先程も書いたように、親がコーチと一緒になって子どもをいじってしまうケースもある。
そうじゃない親は、子どもの話をよく聞いてあげてほしい。
怒られたことや注意されたこと、その出来事自体よりも、
どんな言葉を言われたのか。
その言葉を、子どもがどう受け取ったのか。
そこを丁寧に聞き取ってあげてほしいと思う。
誰か一人でも味方がいるかどうかで、子どもは救われると思う。
方法は簡単じゃない。
でも、気づいた大人が見過ごさないことが大事だと思う。
あのときの自分に、誰か一人でも味方がいてほしかった、と強く思う。
