「全部が私」

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一度は誰しもが、「本当の自分ってどれだろう…?」と悩んだことがあるのではないでしょうか。
私が最近思うのは、どれも本当の自分なんだということです。

私自身も以前、「本当の自分ってどれ?」と悩んでいた時期がありました。
親から見た私、友人から見た私、飲み友から見た私、職場の人から見た私、彼氏から見た私、そして私自身が見る私。
きっと全部違って見えていると思います。けれど、どれも嘘じゃない。全部が私の一部であり、どれも本当の私なんだと思うのです。

人は多面的な存在です。一方向からしか見えない人間なんて、きっといない。
私はそう思っています。

人と一緒にいるときは、盛り上がってワイワイするのが好き。
でも、一人の時間がないと疲れてしまうし、その時間は静かに過ごしたい。
親から見れば、私は「しっかり者で何でもできる人」に映っているかもしれない。
でも、私自身は、できないことばかりで、努力しないと何もできない人間だと思っている。

彼氏から見れば、私は甘えん坊でわがままに見えるかもしれない。
後輩からは、ストイックで無駄を嫌う人に見えるようです。
上司からは「ドラクエの女戦士か賢者みたい」と言われたこともあります。
先輩からは「アホらしい」と笑われるし、飲み友からはノリのいい人、友人からは「誰とも交わらない芯のある人」に見えるようです。

昔は、「本当の私はどれ?」「誰か、私の本当をわかってくれる人はいないの?」と、もどかしく思っていたこともありました。
でも今は、どの自分でいるときも楽しいし、どの自分も好きだと気づきました。
みんなとワイワイしている時間も、一人で静かに過ごす時間も、どちらも大切。
誰かに頼られる自分も、誰かに頼る自分も、矛盾しているようで、どちらも私らしい。

きっと、皆さんも友人といるときの自分と、恋人といるときの自分が違うことは、自然に受け入れているのではないでしょうか。
それなら、すでに“二面性”を受け入れているということ。
親の前での自分も違うなら、三面性。
そう考えると、私たちはすでに多面的な自分を生きているのかもしれません。

もしかすると、ある場面ではリーダー的な役割を求められて、そう振る舞っている人もいるでしょう。
妹キャラの方が場がうまく回るから、そうしている人もいるかもしれない。
そんなとき、「演じているだけ」「本当の自分じゃない」と感じてしまう人もいるかもしれません。

でも、演じられるということは、その要素を自分の中に持っているということ。
演じているのではなく、**その場に最適な自分を“選んでいる”**と考えれば、少し楽になれる気がします。

そして何より大切なのは、その多面的な自分を、自分自身が受け入れることだと思います。

それができるようになるには、経験や知識が必要かもしれません。
どれだけ自分と向き合ってきたか、どれだけ多様な人と出会ってきたか。
哲学的な思考、メタ認知、内省力——そういった力も、時間とともに育まれていくものだと思います。

そして、自分のすべてを受け入れられるようになったとき、きっと今よりもっと、自分を好きになれる。
私はそう確信しています。
なぜなら、私自身がそうだったから。

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