何者かになりたい、何者でもない自分

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先日後輩に、「人生一度きりだし何かしたいし、後悔しないで生きたい。何者かになりたい」っていう相談を受けた。25-26歳の男性だったんだけど、海外に行きたいとのことで悩んでいるみたい。でも、今の仕事に不満もないし、彼女(28-29歳)とも悪くない関係性で結婚しても良いと思っているくらいとのこと。今に不満は無いけど、これで良いとも思っていない様子だったんだよね。

で、「後悔しないで生きたい」って言ったということは、このままいくと後悔する可能性があると自分でも思っていると考えられる。そして、もっと何かをしたいから「人生一度きりだし何かをしたい」と言ったということは、今の現状を変えたいということだと私は思った。

問題は彼女。彼女がアラサーで彼は25-26歳。ここが問題。けど、彼が本当に何かをしたくて、後悔なく生きたいのであれば、別れるか、彼女と一緒に海外に行くべきだと、私は思う。が、彼が言うには、彼女は一緒に海外に行くタイプでも無い様子。もし、彼が彼女のことが本当に好きで結婚して家庭を築きたいと思っているのであれば、海外に行くべきではない。が、もし何者かになりたくて、後悔しないで生きたいのであれば彼女と別れてさっさと海外に行くべきだと、私は本気で思っている。

何かを手にするためには何かを手放す必要がある。何者でも無い自分が何者かになりたいのであれば、犠牲は必要であると私は思っている。私の周りにいる一流の仕事人たちは、皆そうだ。何かを犠牲にして仕事に集中している時間を作っている。が、それによってその業界では一流だし、海外でも活躍するレベルなのだ。何歳になっても、色々な場所で求められる存在なのだ。60歳超えても、だ。お客さんに求められているのだ。後継者を作れと言われるくらい、求められているのだ。

私もまだ何者でも無いが、何者かになりたいと思っている。だから、土日返上で仕事をしている。毎日仕事をしに行っている。そうでもしないと、そこに追いつけないとわかっているから。そうしても、辿り着けるかわからないが、そうなりたいと私は思ってしまったから、やるしかない。やってもそうなれるかわからないが、そうなりたいと思ってしまったので、やるしかない。

後輩の彼も、もし何者かになりたいのであれば、周りと楽しんで今に満足して生きている場合じゃない。後悔しないで生きたいのであれば、現状を変えるしか無いのだ。今何者かである人たちや歴史上の偉人たちも、きっと何かを犠牲にしていたと思うのだ。何も捨てずに全てを得ることなんてできない。スポーツ選手だってそうだ。芸能人だってそうだ。病的なまでにそれに熱中することが重要なのではないかと思う。

私も含めてそうだが、今、何者でもない者が何者かになりたいのであれば、環境を変える必要がある。生きにくい環境に身をおいて、何をどれだけ捨てられるか。誰と一緒にいるか。何を思い、どう考えるか。何にどれだけの時間を費やせるのか。これらが重要なのではないだろか?何者かになりたい人は辛いかもしれないが、今一度、厳しく自分を見直す必要があるだろう。

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