最近、疲労困憊気味のアラサー♀です。なんだか疲れた。何でだろうか。誰か、癒やしてくれー!!!
今回は「真似をされること」について書いていこうかなと。先日、とある大先輩に「Mikaさんの携帯ケースと紐可愛いなと思って、私も同じやつを見付けたんだけど、同じにしても平気?」と聞かれました。私の返答は「もちのろんですよ〜!むしろ私とお揃いでいいんですか!」って感じ。
それこそ小学生とかは「真似しないで」みたいなこともあったと思うんよ。けど、今は、むしろありがたいくらいだなと。だって、その人に少しでも影響を与えられたってことでしょ?そんな自分って凄くない?って思う。
知識や技術、考え方は“弟子”と言われる
私は理学療法士という仕事をしているんだけど、手技が色々ある中で、真似しただのどーのなんて言ってられないでしょ?治療だって、同じことをしたとするよ?それでも、全く同じにはならないし、真似しても別に悪いことじゃないよねって。まずは、尊敬しているヒトだったり凄いと言われている人たちの完コピをしなさいって言われるじゃん?
弟子とかって、そういうことでしょ?だから、真似されるのが嫌だなーって思っているヒトは、真似をされることの何が嫌なのか考えたほうが良いのかな?と思う。そういう部分を真似されたくない人は、きっと真似されて、抜かれるのが怖いんじゃないかな?自分が一番でいたいんじゃないかなって。
例えば。仕事の仕方を真似されたとしよう。それは、私のやってることがいいと思ったから真似したわけで。真似されたとして、自分のやってたことより上回ることをされるのが嫌なのか。自分よりも凄くなってしまうのが嫌なのか。だとしたら、自分の仕事への努力量が足りないのかなって思うよね。
物質的なモノを真似ること
だから、物質的なモノは真似しちゃ駄目なんてないでしょ。真似が駄目ってなったら、芸能人とか推しが使ってるモノを買っちゃ駄目ってなるからね?笑
例えば。持ち物を真似されたとしよう。で、それが何?って感じじゃん。けど、嫌な人は自分が真似したと思われたくないとか、自分が一番に使ってたとか。そういう感じじゃないかなーと。だから、何を言いたいのかというと。真似をされるということは、その人より少し上(=憧れられる)立ち位置にいるということ。憧れられる側に回ったということ。だから、快く受け入れること。
憧れられる存在・一番似合う存在に
例えば学生時代なんかでありがちだけど、持ち物とか服装を真似されるとするじゃん?服装がさ、もし自分より似合ってたら、その子のほうが周りから肯定的な意見をもらえるわけで。で、自分のほうが真似してるって思われんじゃないかなーなんて考えたりね。けど、それって、自分があまり似合ってなかったってことなんじゃないかな?って思う。そして、自分が身につけて可愛い〜とか言われていたら、センスはあるわけだから。自分に似合うものを探せばいいんじゃないかなーって思う。
真似されるのが嫌だ〜とか言ってないで、自分のスタイルをもっともっと高めたら良いんじゃないかと思う。仕事でいうと、技術を真似されたとしても、自分の方が上手であれば、なんら問題ないわけで。そのために、常に技術も知識もアップデートしておかなきゃいけないんだよね。追いつかれないように。それが出来ないヒトが、真似されたくないって思うんじゃないかな?
洋服とか、持ち物だったら、自分のスタイルを追求していくことだよね。真似されるってことは、真似出来るってことなんだから、まだまだオリジナリティが足りないのかもしれないって思うしか無い。あ、ちなみに私は整形外科で勤務してて。出勤のときの服装を見て、同僚から言われることは「それはMikaさんしか似合わないね。ってか、着れないね」って。(笑) まぁ、たしかに、洋服がかぶることは、ほぼ無いからね。
真似されたときは…
間違っても、ここでマウントなんか取りに行かないこと。「え、そのお店いつから行ってるの?あ、私より後か〜」とかダメよ?持ち物だったら、自分がいいと思ったら、プレゼントしちゃえばいい。そしたら誰かが褒められたとしても「○○からもらったんだ〜」って言うじゃん。真似されたくなかったら、あげるくらいの気持ちでいたら良いんじゃないって?思う。
洋服とかモノだったら、一緒に買いに行くとか。技術や知識だったら、教えてあげるとか。そのくらいの気概をみせられたらいいのかなって。その方が、格好いいしね。
何で真似されたくないのか
そんなこんなで。真似されるってむしろ、凄いことじゃん!っていうのを、長々と語ってきました。最後になんだけど。真似されるのが嫌な人は何でか?っていうのを考えたら良いんじゃないかな?その理由によっては、自分が変わる必要があるのかなーと思うから。まぁ、そんな感じ。以上、憧れられる存在になろうと言う事でした〜!!!